長崎カステラとコーヒー
長崎銘菓・カステラにも合う”コーヒー”
江戸時代に日本で唯一の貿易港として栄えた街・長崎。
長崎には鎖国時代に南蛮交易によってさまざまな文化がポルトガルなどから流入し、その後の日本の生活様式や食文化に多大な影響を及ぼしました。
その名残で『日本初』と付く物事が多くあります。
列挙すれば枚挙にいとまがありませんが、コンクリート建築・近代塗装・缶詰製造・そして西洋料理。
生活様式では「洋館」の建築技術が初めて持ち込まれ今日の建築の礎になっています。
特にスコットランド人、トーマス・グラバーが南山手の地に『グラバー商会』を設立しその後の日本の発展に尽力しました。
「蒸気機関車」「三菱造船所」「炭鉱」「製茶」「日本初国産ビール」。
どれもこれも日本の近代化には欠かせないビジネスを展開しました。
世界文化遺産【洋館・グラバー邸】
*坂本龍馬の『亀山社中』とも取引があったそう
**因みに、トーマス・グラバーの後任として着任したフレデリック・リンガーは『長崎ちゃんぽんリンガーハット』の名前の由来になった人です。
食生活では、当時の日本ではとても貴重だった「砂糖」が大量に流通しました。と同時に焼き菓子などもこの頃から広まっていきます。現在の北九州・小倉までの「長崎街道」は当時「砂糖街道(シュガーロード)」とも呼ばれていたそうです。
長崎のお菓子といえばカステラ
長崎銘菓・カステラも貿易国スペインから持ち込まれました。
スペイン帝国の元となった《カスティーリヤ国》が原産とされていて、カスティーリヤが訛ってカステラになったということです。
元は、砂糖やコメを扱っていた貿易商の「初代・福砂屋」がポルトガル人から直接伝授され、卵と砂糖と粉で南蛮菓子作りを始めたのが約400年前、そして「長崎カステラ」を創案したのが始まりです。
「カステラといえば福砂屋」
当時の中国で慶事や幸運の印として使われていた”蝙蝠”が商標です。
***因みに、平戸の殿様に献上するためだけにカステラに卵と砂糖(熱した糖蜜に浸してグラニュー糖)をまぶして作る門外不出のお菓子が“カスドース”です。これでもかというほど砂糖を使用します、当時は決して庶民の口に入ることはなかったそうです。まぼろしのお菓子が今では手軽に食べることができます。
【カスドース ブラックコーヒーが合います】
湖月堂老舗のカスドース
カステラとコーヒー
長崎あるあるを一つ。
昭和の時代、祖母や叔母の家に行くと必ずと言っていいほど、茶菓子にカステラがありました。
傍らには急須、一つ摘まんではお茶を一口。
私は三ツ矢サイダーを飲みつつ傍で猫と戯れながら大人たちをずっと観察していました。
そんな風景が日常の長崎ですが、実はカステラはコーヒーによく合います。
カステラは”和”のお菓子というイメージですがストレートコーヒー(ブラック)と甘いカステラは相性が良いように思えます。
考えてみたらケーキのスポンジ生地はほぼカステラ生地みたいなもんですもんね。
今ではカステラもレパートリーが沢山出来ており、チョコでコーティングしたものや抹茶味・はちみつ風味などもポピュラーです。
以前、和食にコーヒーも珍しくないとブログに書きましたが和菓子にも合うという話でした。